ルワンダ
●概要
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ルワンダでの、かねてからのツチ族とフツ族の争いは、1990年にツチ族のルワンダ愛国戦線により、ルワンダ内戦へと発展しました。1993年に和平合意が結ばれましたが、1994年にフツ族の大統領と、ブルンジ大統領が相次いで原因不明の飛行機事故により死亡し、ツチ族とフツ族間の争いは再燃しました。1994年4月から7月の間に、暴徒化したフツ族によって約80万人のツチ族と穏健派のフツ族が虐殺されました。
2003年、新しい憲法が採択され、多政党による選挙が実現したことにより、それまで続いていた暫定政権が終了するなど、ルワンダは大きな転機を迎えました。治安が著しく改善されたのを受け、UNHCRはルワンダ政府が新しく設立したNCR(National Council of Refugees)に難民認定事業を委譲しました。NCRはUNHCRの協力の下、難民庇護制度の構築に取り組んできました。UNHCRは現在、周辺諸国からのルワンダ難民の帰還を推奨しています。
●ルワンダにおけるUNHCRの活動
ルワンダの治安改善などを受け、2003年、UNHCRとルワンダは、周辺諸国7か国と三者協定を結び、ルワンダ難民の帰還事業を支援してきました。2005年も自主帰還事業が継続されます。
2004年、コンゴ民主共和国(以下、コンゴ)とルワンダの外交関係は悪化しました。 2004年5月から6月にかけて、コンゴで発生した混乱を避け、約3000人のコンゴ難民がルワンダに逃れました。さらに、その後実施された国境の封鎖が、ルワンダ経済に打撃を与えました。
ルワンダ国内に逃れてきた難民が収容されてしまうケースも少なくありません。UNHCRが発行した難民認定証を警察が認めないこともしばしばあり、また政府も独自の難民保護政策をとりませんでした。UNHCRは、特に証明書類の欠如などの理由などで収容された難民の釈放と法的保護に取り組んでいます。
ルワンダから難民を第三国へ移送することは、複雑な出国手続きなどの理由により依然困難です。NRCにも専門スタッフや施設、資材などが不足しており、2004年度の難民認定手続きは滞り、結局一人の難民認定者も出すことが出来ませんでした。
●ルワンダ帰還民に関して
2004年、1994年の大量虐殺から10年が経ちましたが、難民の中には経済的な理由、治安上の理由などから母国への帰還に難色を示す人々が増えています。2004年に帰還した難民の数は全体的に減りました。
ルワンダ国内における難民の再定住支援も重要課題となっています。耕地の不足は貧困問題をさらに悪化させています。土地所有の問題なども、帰還民の再定住をさらに困難にしています。UNHCRは近い将来、ルワンダでの活動を終了する予定ですが、今後、資金が徐々に減少していくことを考えると、難民や帰還民の生活を継続的に安定させるのは難しいと予想されます。
| ルワンダ難民:各国での受け入れ数 (出典:Global Refugee Trends - 2005年1月1日現在) |
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| ウガンダ | 1万8902人 |
| コンゴ民主共和国 | 1万1816人 |
| コンゴ共和国 | 5852人 |
| ザンビア | 5791人 |
