私とUNHCR

難民誌27号(2003年12月号)より抜粋

 

森 啓充 (もり ひろみつ)

ジュネーブ本部
アジア太平洋局 第2課(南アジアおよびミャンマー担当)課長

世界が混沌としているように、今日のUNHCRがおかれている状況も混沌とし ています。人道支援という立場に変わりはないものの、各資金拠出国はそれぞれの国内政治と国際政策を反映し、拠出先に支援をすると同時に各国の政治的利益を反映させようとしています。UNHCRは冷戦の産物だと言う人がいますが、私はその通りだと考えています。

歴史を振り返れば国際的な難民支援機関は幾つもありました。国際連盟の下でも、国際連合の下でも短いながら国際難民機関がありました。それぞれの機関は国際情勢の変化で消え、あるいは新しく生まれたものです。その中でUNHCRほど長く続いた機関はありません。これは40年以上にわたる冷戦時代と冷戦後の混乱の結果だと言えます。言い換えれば人道主義だけではなく、支援国の政治的判断がこの組織を設立当初の限定された存続期間を何度となく延長させたのです。共産主義や独裁政権から逃れる人々への支援は、各国の立場を正当化する目的もあった訳です。冷戦の終焉後、十年以上がたち、冷戦後の民族紛争もある程度、収拾しつつも、難民問題が絶えることのない現在、今後UNHCRはどうなるのでしょうか。

不法移民が経済的な理由で増した結果、過去に門戸を開いていた国も今では不法移民を締め出すために厳しい入国制限をするようになってきました。そういう状況下でUNHCRに対する見方も協力的なものから敵視に変わりつつあります。現在の不法移民の多くは、過去には正規の移民として受け入れられていたのですが、そういう許容力のある国は皆無になりつつあります。

UNHCRも僅か十名足らずの職員数から今では6000人規模になり、任務も変化し、仕事も細分化されました。財政的危機は続き、フィールドの人員整理が行われる一方で、仕事の多様化と財政危機を乗り越える目的で本部の人員が増えるという状況が生まれてきています。

私がUNHCRの職員になろうと決心した理由は、個人で世界の平和に貢献できるのはこれしかないと思ったからです。

紛争や戦争を防止することは出来なくとも、その結果、生まれる難民を助けることは出来るのではないか。当時の私としては非常に現実的な理由からでした。入所してから主に法務および保護の分野で仕事をし、難民認定を含め数多くの難民の助けをすることは出来ました。同時に平和な社会では想像も出来ない状況を経験してきました。両親の時代と異なり比較的平和な日本で育った私は非常に貴重な経験ができ、息子に「お父さんはこういう厳しい、時には悲しい人間の現実を見てきたんだよ」と言えるようにもなりました。このように個人的な満足感はあるにせよ、周囲の状況そして世界の流れを見ると悲観的にならざるを得ません。同時に、人類の歴史の流れの中で我々が出来ることは非常に限られているのかと痛感します。

20年近く前、まだ新米職員だっだころ、先輩の一人からどうしてUNHCRの職員になったかを聞かされたことを覚えています。彼曰く、「自分が歴史の一部に関与できるから」と。それは当たっていると当時は思いました。しかし今考えると、歴史の中の個々人はあまりにも小さく、無力感を覚えます。またいくら努力しても歴史の波は変えることは出来ないと実感します。これは恐らく人道機関に携わる多くの人間が感じることでしょう。

少し身近な人間臭い話に変えましょう。職員の多くは真面目で、本当に一生懸命働いています。個人的犠牲も顧みず、日夜、働いている職員は数知れずいます。それは国際社会から与えられた任務が常に頭にあるからでしょう。それでも人間の集まりですから、問題はあります。一番悩まされるのは利己的な職員です。もちろん日本人職員も例外ではありません。人道援助機関でこういう人に会うと本当に嫌になります。来年の4月には私も勤務もまる20年になります。5月には50歳になります。私にとってこの20年の間、自分の自由意志とはいえ人のために働いてきたわけで、そろそろ自分のために何か新しいことに挑戦したいとも思っています。

最後にUNHCRに興味のある方へ。飛びぬけて優秀な人である必要はありません。国際組織で活躍できる人は、謙虚で思いやりがあり、物事に柔軟な姿勢でいられる人です。つまり日本の古くからあるごく普通の伝統を持ち続け、なおかつ想像力のある人でしょう。若い読者のご両親の世代には必ずいるタイプです。それに語学力が伴えば、立派に国際機関の日本人として通用します。

 

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